植物工場の専門家・研究者の分野の偏りについて

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 筆者(竹葉)が植物工場の分野に入ったのは、東北大震災(2011年)の直後、原発の放射能が地域に拡がり、農地が長期間使用できなくなる恐れが出た際であり、土を使わない農業について研究するため、京都府の支援で「エコタイプ次世代植物工場」を建設してもらい、以後約10年間、植物工場野菜の生産に従事した経過がある。筆者の専門分野は植物生理学で、これまで、花芽形成、種子発芽、窒素代謝、グルタミン合成酵素、光合成(光呼吸)などの分野で基礎的な研究を行ってきた。植物工場の運営や野菜の生産については全くの素人であった。

 当初は、栽培装置を入れた業者から、野菜の育て方を教えてもらう日々であったが、まもなく業者から教えてもらう内容にいくつかの問題点のあることに気づいた。一つは、この業界が非常に閉鎖的であることである。植物工場を始める業者は、その栽培装置を納入してもらう企業から、最初に野菜の栽培方法について指導してもらうわけであるが、その内容は「他の業者には絶対秘密」という内容が多く、彼らはその内容を頑なに守っているのである。そのため、植物工場業者間で技術的な交流はなく、中には間違った方法を頑なに守っているケースもあった。

 その典型例は、植物工場内の湿度は高い方がよい、という内容である。業者に聞くと、ある有名な大学の先生が本に書いている、ということである。これは、別項でも述べているように、全くの間違いであり、野菜の生産にとっても、植物工場の衛生管理にとっても、完全に逆の効果を生む。私は、その有名な大学の先生が書いた本を取り寄せて読むことはしなかったが、想像してみると、その先生は露地栽培の常識をそのまま植物工場に持ち込んだのではないか、と考えられる。露地栽培では、空気が乾燥すると土も乾燥し、地上部にしおれが出ると、気孔が堅く閉じてしまう。これは、アブシジン酸という植物ホルモンが関与する仕組みとして知られる。「空気が乾燥すると気孔が閉じるので、空気中の湿度が高いと気孔が開いている」という露地栽培の常識から、植物工場内の湿度は高い方がよい、と考えたのではないか、と想像される。しかし、植物工場では、野菜の根は常に水(養液)に浸かっているのである。そのため、植物工場内の湿度が低くても気孔が閉じることはない。植物工場内の湿度が低い方が蒸散が盛んになり、野菜の成長もよくなる。さらに、植物工場内の湿度が高いと、壁や天井に水滴が付着し、そのためカビが繁殖し、そのカビを食べる小さな虫がどこからとなく侵入して増え、さらにその小さな虫を食べる大きな虫が増えてくる。植物工場の衛生管理上、非常に困った状況に陥るのである。植物工場内の湿度は高い方がよい、というその本の影響は大きく、2011年当時、ほとんどの業者がそれを守り、中には加湿器まで入れて湿度を80% に近くにまで上げている植物工場もあった。

 その有名な大学の先生は、なぜそのような大きな間違いを書いてしまったのか。その点について大学の研究者であった者の立場から言えることは、植物工場の専門家・研究者の分野が偏っている点である。植物工場というのは、農学の施設園芸という分野から始まっている。農家のハウス栽培の延長として発展してきたのである。施設園芸の分野に加えて、作物の環境制御の分野として加わった人たちが、現在の植物工場の研究を支えている、といってよい。ところが、施設園芸や環境制御など農学の研究者は、一般論としては、気孔の開閉に関する最新の研究状況には疎い。なぜかといえば、気孔の開閉に関する研究は、主に理学系の研究分野で展開されており、農学分野の研究者との交流がないのである。交流がないだけでなく、理学分野の研究者が使用する用語が農学分野の研究者には通じないのである。そのため、理学分野で研究された気孔開閉に関する成果を農学分野の研究者が知る機会も少ない。気孔の開閉のメカニズムでいえば、湿度が高いと気孔が開くという仕組みは存在しない。このことは、気孔開閉を研究する理学系の研究者にとっては、ごく初歩的な知識なのである。

 このような事情は、気孔開閉の分野だけでなく、光合成の分野でも同じ状況である。光合成は小学校から出てくる植物の基本的な機能であるが、その測定は意外に難しい。植物を容器に閉じ込めてCO2 などのガスの出入りを測定する訳であるが、自然の状態に近づけるためには装置が大規模になり、どこでもできる装置ではない。さらに、光合成の仕組みに関する研究状況は、その大部分が分子レベルの物理学となっており、多くの農学部教員が理解できる内容ではない。ここでも、光合成研究の現場の用語が難しく、光合成研究の成果が、農学教育に活かされることは少ない。そのため、一部の大学を除いて、日本の農学系の学生教育で、気孔開閉や光合成といった農学教育に本来は必須な分野で、最新の研究成果に基づく教育はなされていない。考えてみれば、恐ろしいことである。上述した気孔の開閉についての間違いが研究者間で正されずに出版されたことは、本来であれば、農学・理学を問わず広い分野の専門家によって支えられるべき野菜の生産技術の体系が、非常に限られた分野の研究者のみによって支えられていたことの反映である。なお、このように農学と理学とが分離した状況にあるのは、明治以降外国からの学問の導入過程で生じた日本の特殊な状況であり、諸外国では農業の現場と基礎科学とは融合している。

 ここで、日本の農学教育全般をどのように見直すべきかについて、議論を展開するつもりはない。日本の農学教育全般の見直しについては、農学部を構成する農学部教員の意識の改革が必要であり、そのためには意識の基礎となる世界の研究状況の把握が必要であり、研究状況の把握のためには永い年月が必要となるからである。その点で言えば、年配の教員の意識を変えることは非常に困難であるので、若い教員に期待したい。

 問題は、植物工場の今後の展開である。日本の農業の現状は、誰もが指摘するとおり、農家の高齢化、跡継ぎ難、栽培資材・肥料等の高騰などにより、その担い手が急速に減少する状況が間近に迫っている。識者の中には、外国から農産物を輸入すればよい、という意見を展開する人もいるが、野菜の中でも葉野菜など新鮮な野菜が必要であるので、やはり、健康に直接寄与する葉野菜の生産は、日本国内で生産すべきである。その際に、葉野菜の生産に関しては、土にこだわる必要はないと考える。

 このホームページでも紹介しているように、葉野菜の品質については、すでに露地野菜の品質を大幅に超える技術が確立している。当社の技術を使用しない、従来の植物工場野菜の品質は露地野菜に比べて相当に劣るが、当社の栽培技術を使用すれば、露地野菜では到達不可能な高い品質の野菜生産が可能である。さらに言えば、当社の栽培技術を使用せずに、同等の品質をもつ野菜の生産は原理的に不可能である。具体的に言えば、野菜の抗酸化成分を増強し食味・風味を改善するには、無窒素下で青色光を照射する方法(特許1)以外に同じ効果を出す技術は他になく、今後もそのような技術が出てくる可能性はない、と断言できる。また、活性型葉酸を増強するには亜鉛含量を高めることが必須であり、他の方法では代替できない(特許3)。さらに、Mg++ の発育促進効果を使わずに収穫時期を早めることは困難である(特許2)。その意味で当社の栽培技術は、近い将来、植物工場野菜の世界標準の栽培方式になっていくと断言できる。

 ただし、野菜の種ごと品種ごとの詳細な最適栽培条件については、まだ多くの実験栽培が必要である。また、葉野菜以外の作物や牧草などの栽培法については、多くの研究者による研究が必要である。さらに、日本国内の状況だけでなく、世界的に見ても、地球温暖化の進行とともに、深刻な干ばつが進行している地域が拡がっており、そのような地域では、水を循環再使用できるエコタイプ次世代植物工場による農業技術の導入が農業生産の維持に不可避である。現在は、地球温暖化の影響で従来の農業生産方式は維持が困難な地域が拡大しており、従来の農業生産方式をエコタイプ次世代植物工場方式に転換すべき時期であり、その方向に沿う多くの研究が農作物ごとに必要な時期である。地球温暖化を見据えて国家的に取り組むべき課題としては、従来の土に依存した農業体系をエコタイプ次世代植物工場方式に移行すべく、国のレベルで大型予算を組み、多くの研究者を動員して大規模に研究開発を展開すべき時期である。中国ではすでにそのような取り組みが進行していると聞く。

 日本をはじめとして、世界規模でエコタイプの植物工場による農業技術の展開は必然的な方向となっている。にもかかわらず、日本の農学教育の現状は、日本及び世界の状況に到底対応できない、と考える。大学の教員の意識を変革する上で一つの提案がある。それは、小規模でよいから、各大学に実験的植物工場を作ることである。そこで、農学、理学を問わず、研究者が実験材料を育て、教育研究を展開する中で、植物のもつ基本的な性質について、総合的に理解し合える教育研究環境ができるのではないかと期待する。植物工場で植物を育てるには、植物栄養の知識、光合成の知識、生長生理の知識、花芽形成の知識、など多くの分野の知識が必要となり、狭い専門分野の知識のみでは対応できないので、植物に対する総合的な視野が養われる。現在の大学には、植物を育てる施設として制御温室がある。しかし、その多くは太陽光を利用する施設であり、温度制御と光強度の制御に難がある。養液組成、温度・湿度・CO2濃度、風力などを総合的に制御できる施設ではない。商業的にはすでに一般的に普及している閉鎖式植物工場が、大学の教育研究の場にはないのである。

 ただし、予算を配布する権限をもつ官庁にも問題はある。例えば農水省の考え方は、農業とはあくまで土に依存する生産体系である、という信念と法体系があり、いわゆる植物工場は農業とは別物と見なしていることが問題である。農水省では「健康」という用語も禁句であると聞く。「健康」はあくまでも厚労省の使う用語であり、農水省は国民の健康を直接支える食料の生産に関与し、その担当官庁であるにもかかわらず、「健康に役立つ農作物」という表現ができず、「機能性農作物」という表現を使用する。そのため、農水省の予算は植物工場に関係する分野には使用できない。日本の野菜に関する研究状況には、教員の意識に関する問題だけでなく、官庁の意識に関する壁もある。

 日本と世界の現実の状況は、エコタイプ次世代植物工場の研究教育の更なる展開・発展を求めている。大学内の大きな壁、官庁の大きな壁が厳然とある中で、当面は民間の企業が率先してこの問題を突破することに期待したい。